先日、勤めているピアノ教室を辞めることにしました。
大学研究所の仕事が契約期間終了になるのを前に、偶然見つけたピアノ講師の仕事。
稼働し始めてわずか3ヶ月。
まさかこんなすぐに辞めることになるとは、全く考えもしませんでした。
(次の講師が決まるまでという決まりがあるので、勤務はもう少し続けます)
わたしの名誉のために書いておくと、一応それなりには忍耐力はある方だと思っています。
新卒で入社した超激務な職場も体調不良をおこすまで1年6ヶ月辛抱したし、その後転職した職場でもお局さんの嫌がらせにもめげず結婚退社するまで3年半勤めたし。
大学研究所の仕事も、5年間最後まで勤めたし・・・。
そんなわたしが、ピアノ教室をあっけなく辞める事にしたのは、とにかくオーナー先生と合わなかったこと。考え方も性格も会話も、面白いくらいことごとく合わない。
オーナー先生に対しては、本当にお世話になったし感謝の気持ちもあるのですが、最後は、電話がかかってくるたび、メールが来るだけでもイライラしてしまうくらいだったのです。
この世の中、自分とピッタリ合う人間なんてそうそういるわけじゃない。
雇っていただく立場だから、お金をいただいて仕事をする以上、納得いかないことがあっても我慢しないといけないこともある。
しかもピアノの先生という性質上、当然生徒さんが存在するわけで。
それでも「もうこの先生とはこれ以上関わらない方がいい」
わたしの直感がそう訴えてきたのです。
社会人になって、ここまで合わない人と関わる事になるのは久しぶりで。でも人生無駄なことはないと考えたら、きっと今のわたしに必要なことだったのかなと思います。
それで、その先生のなにが合わなかったのかというと、いろいろあるんですが、1つ挙げるとすれば「心配しすぎ」なところ。
とにかく心配しすぎなんです。
「ああなったらどうしよう」「こうなったらどうしよう」
なにをするにも心配が先にくるから、自然と姑みたいな小言や嫌味が増える。
「夫のおかあさんがこの先生みたいじゃなくてよかった」と心底思ったし、苦手意識のあった姑が可愛く思えるほどでした(笑)
パワハラ、セクハラ、マタハラ、アルコールハラスメント。
最近はいろんなハラスメントがありますが、「心配ハラスメント」っていうのもあるんじゃないかと思うくらいのレベルでした。
わたしは決して心配性なのが悪いと言いたいわけではないです。
よく考えて検討して、石橋を叩いてみた方がいいこともあるし、わたし自身も心配性なところがあるから。
どこに行くにも荷物が人一倍多くなりがちだし。
ピアノ曲を暗譜するときも、途中で止まっても大丈夫なように、何箇所も「戻れるポイント」作ってるし(笑)
問題なのは心配しすぎてしまうあまり、まだ起こってもいないことにあーだこーだ言って、本人自身やまわりの人の可能性を潰してしまうこと。
「ああなったらどうしよう」「こうなったら○○さんが可哀想」そう考えて挑戦する(させる)ことを諦める(諦めさせる)。
本人の中で完結させるならいいけど、まわりの人まで、それに振り回してはいけないと思うのです。
不思議なことに「こうなったらどうしよう」と思ったことって、その通りになってしまうことが多い気がします。人間の脳はそういうふうにできているそうです。
「○○したらどうしよう」と思ったら、脳は「この人は『○○したらどうしよう』っていう状況を望んでいるんだな」と思って、希望を叶えてくれる。
そういうことって、あらゆる場面でよくあるんじゃないかと思います。
たとえば、車を運転するとき。
「次の信号にかかりそう。かかりたくない…」って思ったら大抵赤信号になってしまう。
雲行きが怪しくなったとき、「傘持っていないから、雨降ったらどうしよう」って思っていたら雨が降ってくるとか。
ピアノでも本番で心配なところがあって、「間違えたらどうしよう」と思った途端にミスってしまったことがあります。
もちろん、本番中になにが起こっても大丈夫なように、前もって最善の対応策を考えておくのは大事です。
でも「本番で間違えたくないから」って、発表会や演奏会に出るのをキャンセルしたり、コンクールに挑戦するのを諦めたりとかしないはず。
成功しても失敗しても、そこから学ぶことはたくさんあるし、失敗したからこそ得られるものがあって人は大きく成長するものです。
それに、失敗を恐れてなにも挑戦しない人生よりかは、「失敗したらそのときはそのときだ!」と開き直っていろんなことに挑戦できる人生の方が面白いし楽しいと思うんですよね。
とはいっても、まだまだわたしも人生修行中。
「いろいろなことに前向きに挑戦できる自分で在りたい」という想いを込めて書いてみました
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